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日本人の宴会好きは昔から…平安貴族の風習「焼尾荒鎮」に一条天皇もうんざり

日本人の宴会好きは昔から…平安貴族の風習「焼尾荒鎮」に一条天皇もうんざり

一条天皇の下問に、道長は……

こうした事態を何とかしようと、一条天皇は寛弘元年(1004年)2月、藤原道長に下問しました。

「諸国で過剰な接待が濫発し、政治腐敗の温床になっていると聞く。すべてを一度に検挙することは出来ないが、特にひどいと言われる伴佐親(ともの すけちか。右衛門尉)と藤原連遠(つらとお)の両名を罰することで一罰百戒を期したい(※意訳)」

下問に対して道長は、まず怠状(たいじょう。始末書)を提出させた上で罪の軽重を吟味すべき旨を答申します。

そして翌日には両名の怠状が提出され、これから長い長い審査が始まるのでした……が、恐らく(彼らに比較的同情的な)道長が時間を稼ぎ、有耶無耶にもみ消してやったのでしょう。

(そのくらい、別によいではないか。下級官人にとって任官や昇進は人生において数少ないハレの機会であり、物心ついた時から皇位にまします陛下とは違うのだ)

一条天皇がただ個人的に派手なことが嫌いというだけではなく、天下公益を鑑みて焼尾荒鎮の規制に乗り出したのも解ります。

しかし現場の底辺で這いずり回る下級官人たちにとって、汚職だろうが癒着だろうが、何としてでも這い上がりたい(そして這い上がった暁には思う存分うまい汁を吸いたい)欲望が渦巻いていることを道長は知っていました。

もちろん先の処置は単なる温情などではなく、恩を売ることで自分の手駒に引き込もうとする意図が含まれていることは言うまでもありません。

終わりに

以上、焼尾荒鎮をめぐる一条天皇と藤原道長のエピソードを紹介してきました。日本人の宴会好きは昔から、良くも悪くも呑みニケーションの効果を実感します。

しかし誰もが汚職などせず豊かに暮らせる公平公正な社会。その実現はなかなか難しく、令和の現代においても未だ道半ばと言ったところです。

※参考文献:

  • 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
 

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