女性の遺体が盗まれる!?猟奇的な事件に発展した昭和初期の「坂田山心中事件」とは?
心中、と聞くと人形浄瑠璃や歌舞伎の演目などを思い浮かべる方が多いかもしれません。
夫婦でありながらなぜ…江戸時代の恋物語『心中宵庚申』が描く切なさと義理人情
江戸時代、世間で大炎上した旗本と吉原遊女の心中事件「藤枝心中」をご紹介
心中して生き残っても「死刑」又は「晒し刑」…厳しい処罰が科せられた江戸時代の心中事情
しかし、特に昭和ごろまでは、心中事件が新聞で大きく報道されることがありました。
今回は、そのような事件のなかでも特に話題を呼んだ「坂田山心中事件」について詳しくご紹介していきたいと思います。
この事件、単なる心中事件……ではありませんでした。
心中に至った二人と、恋のいきさつ
事件の中心となるのは、二人の若い男女です。
女性は湯山八重子という人物で、静岡県駿東郡富岡の素封家(そほうか:大金持ち、資産家、財産家)の三女です。富岡小町と呼ばれる美人だったとか。男性は、調所五郎(ずしょごろう)という人物で、華族・調所広丈の孫でした。
当時、湯山八重子は東京芝白金の高等学校に通っていました。クリスチャンの学校だったため、彼女は教会に通い、あるときそこで調所五郎と知り合います。お互いの悩みなどを打ち明けるなかで、二人は親しくなっていきます。
湯山八重子が体調を理由に学校をやめ、実家に戻ったことがきっかけで、二人は遠距離恋愛となります。五郎の両親は交際に賛成していましたが、八重子の両親はそうではありませんでした。そして、八重子に別の縁談を持ちかけます。
このような経緯から、二人は心中を決心することとなるのです。