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したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【後編】

したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【後編】

「明治政府」最初の会議にて

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さて、王政復古の大号令は別名を王政復古のクーデターともいいますが、この大号令が発令された12月9日の夕方に開かれたのが「小御所会議」です。いわばこれは、新政府最初の会議というべきものでした。

これには、明治天皇が臨席して後の新政府首脳や公家、雄藩の実力者たちが出席しました。慶喜の姿はここにはありません。

そして今後の国家運営のあり方が相談されたのですが、ここで徳川家の所領と慶喜の官位の没収が話し合われます。

しかし、松平春嶽前土佐藩主の山内容堂は不満でした。彼は大政奉還の功労者である慶喜を会議に、ひいては新政府へ参加させるべきだと述べます。ちなみに酒好きの容堂はこの時もしっかり酒に酔っていました。

それでも辞官と納地の奏請は決定事項となり、薩摩藩によるクーデターはひとまず成功した形でした。

しかし慶喜はこんなことでは負けていません。まるで王政復古など意に介していないかのように、さっそく逆襲を始めるのです。

2ページ目 徳川慶喜の逆襲

 

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