手洗いをしっかりしよう!Japaaan

芸者から総理大臣の愛妾に、その後事件で尼僧となった明治時代の麗しき女性・お鯉(安藤照子)

芸者から総理大臣の愛妾に、その後事件で尼僧となった明治時代の麗しき女性・お鯉(安藤照子)

江戸時代の末から明治時代にかけては、カメラ・写真が普及した時期でもありました。そのおかげで、現代に生きる私たちも、当時の人々の様子をよりリアルに知ることができるようになっています。

そんな当時の写真が残っている人物の一人に、お鯉(安藤照子)という女性がいます。今回の記事では、そんなお鯉の姿に迫ってみたいと思います。

こちらの記事も合わせてどうぞ

可愛すぎて小学校を退学!?明治末期に「日本一」と呼ばれた芸妓・萬龍(まんりゅう)の波乱万丈な人生

古今東西、美人と呼ばれる人はたくさんいますが、明治時代末期に、「日本一の美人」と呼ばれた女性がいました。その名は、「萬龍(まんりゅう)」。人気を博した芸妓さんでした。「美人は人生が楽で…

超美人さん揃い!明治時代に日本初のミスコン「東京百美人」が開催されたその理由とは?

明治時代に東京浅草の名所の1つだった「浅草凌雲閣」(通称「浅草十二階」)。1890年(明治23年)に工事が始まり1891(明治24)年に完成しました。当時の日本で最も高い建築物で、名称の由来は、「雲を…

ミスコンが理由で退学!?明治時代、日本初の一般女性のミスコンで1位に輝いた「末弘ヒロ子」

ミスコン(ミス・コンテスト)、と言えば今でも「ミス日本」「大学ミス・ミスターコン」「女子高生ミスコン・男子高生ミスターコン」などがあり世間の注目を集めますが、実はそのミスコンが明治時代に始まったという…

14歳で芸者になり花柳界へ

照子は、明治13年に四谷見附の漆問屋に生まれました。生家が没落し、6歳で新宿の引き手茶屋・安藤家の養子となります。

しかし、安藤家も家が傾き、照子は14歳で新橋の芸者となり、花柳界入りします。

歌舞伎役者と結婚も、すぐに離婚、そして大物政治家の愛妾に

照子はその後、歌舞伎役者の市村羽左衛門と結婚しますが、まもなく離婚し、再度芸者に戻ります。そして、24歳ごろに人生の転機が訪れます。元老山県有朋の紹介により、桂太郎の愛妾となったのです。

日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【前編】

最初は「軍人デビュー」桂太郎(かつら・たろう)は軍人出身の政治家で、山縣有朋の懐刀とも呼ばれた人物です。また総理大臣の座にも三回就いており、その在任期間の合計日数の長さはつい最近まで日本の憲政史上…

このとき照子は桂に対して「遊びではなく、生涯大事にしてくれないのであれば嫌だ」と言ったと言われており、桂はその気風の良さに惚れたとも言われています。

また、病気がちであった桂の妻に代わり、桂の世話をしました。ちなみに、当時桂は内閣総理大臣であり、その官邸内には「お鯉の間」がもうけられたといいます。

なお、桂はこの当時を含めて合計3回も総理大臣の職についてますから、その立場の高さが伺えるのではないでしょうか。

ちなみに、歴史の教科書にも乗っている「日比谷焼き討ち事件」の際には、「桂とともにお鯉を殺せ」といった声が上がったと言われています。

2ページ目 桂の死後、事件で有罪となり、出家

 

RELATED 関連する記事