「倒幕」方針には冷ややか
幕末を舞台にしたエンターテイメント作品を見ていると、まるで薩摩藩は最初から一丸となって倒幕運動を主導したかのように感じます。
しかし、実際には薩摩が「倒幕」へと動くまでにはいくつかの前段階がありました。薩摩の倒幕運動の立役者とされている西郷隆盛ですらも、最初は倒幕には懐疑的だったのです。
西郷は長州藩の過激派とは異なり、最初は朝廷と徳川が融和する公武合体政策を推進していました。そして、朝廷のもとで徳川と諸藩による連合政権を樹立することを考えていたのです。
かの薩長同盟も、もともとは、藩崩壊の危機に瀕した長州藩を救って幕府の力の弱体化をはかろうというものでした。
薩長同盟、実は「倒幕はしない」同盟だった!?真の目的と本当の敵は誰だったのか?
「倒幕はしない」同盟だった?幕末の歴史物語の名シーンとして語り継がれているのが、薩長同盟が結ばれたシーンです。薩長同盟とは、それまで犬猿の仲だった長州藩と薩摩藩が、いがみ合っていた過去を水…
武力行使の可能性は、将来的な手段のひとつとして検討されていたに過ぎません。
しかし、けっきょく西郷は、諸藩連合では徳川慶喜に対抗するのは困難だと判断したとされています。彼の主導で、薩摩藩は討幕派へと方向転換しました。
とはいえ、方向転換したからと言って薩摩藩全体が急に一致団結したわけではありません。西郷や大久保利通は武力倒幕を決意したものの、薩摩藩の反応は冷ややかでした。