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西郷暗殺計画も!?降って湧いた「倒幕」への方針転換に薩摩藩の藩士たちは反対していた

西郷暗殺計画も!?降って湧いた「倒幕」への方針転換に薩摩藩の藩士たちは反対していた:2ページ目

財政問題も足枷に

薩摩藩が倒幕に向けてすぐに団結できなかった理由は、まず薩摩藩はもともと幕府寄りの親幕派だったことが挙げられます。

幕府と薩摩の深いつながりは江戸時代初期から続いており、徳川家康の時代には松平家と婚姻関係を結んでいます。

また、徳川吉宗から徳川本家の養女を正室に迎えたという経緯もありましたし、大体、島津本家の養女にあたる篤姫が徳川家定の正室になれたのも、この薩摩藩のポジションあってこそだったのです。

西郷が最初は公武合体政策を推進していたのも、このような事情があったからでした。

他にも、薩摩藩内が武力倒幕に対して消極的だった理由として、薩摩藩の財政赤字も挙げられるでしょう。薩摩藩は77万国と、数字だけ見れば日本屈指の石高ですが、その土壌は火山灰なので農業には不向きで、実質的な生産高は半分以下だったといいます。

そんな中、洋式産業事業や軍の洋式化、薩英戦争の賠償金支払いと復興事業などにかなりの額の資金が投入されていたのに加えて、島津久光の上洛費用もかさんでいました。

それだけではなく、さらに禁門の変の出兵費用も重なり、当時の薩摩藩の財政は火の車だったのです。

これでは、倒幕どころではないと思われるのも当然です。

3ページ目 島津は賛成した

 

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