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大義を思う者は最期まで…石田三成が処刑直前に干し柿を拒んだ理由とは?【どうする家康】:2ページ目
「なるほど、そなたらはそう思うのであろう。しかし、わしには守るべき大義がある。大儀に生きる者は、首を刎ねられるその瞬間まで命を大切にして、志を諦めないものなのだ」
たとえ武運拙く敗れたからと言って、決して恥じることではない。最後の最期まで諦めることなく大義を思い続けてこそ、その志を継ぐ者が現れよう。
斬られるならば仕方ない、その死に様に天下の大義を示すまで。覚悟を決めた三成は、顔色一つ変えずに斬られたということです。
終わりに
三成は、五奉行の一人なり。勇智兼備の聞え、世以て賞美せり。諸大名の取次、天下の法政を司りし故、威権赫奕(いけんかくえき)として肩を比(なら)ぶる人なし、かゝりければ、佐和山落城の後は、さぞ華麗ならんと、人々思ひたるに、豈(あ)に図らんや、居所は皆荒壁にて上塗せしはなく、屋中は多く板張の儘(ま)にて居館の障子襖は反古紙(ほごがみ)を用ひ、庭中も樹木抔(など)植たる物好なく、手水鉢(ちょうずばち)抔粗末なる石のさまなりしかば、皆々案外にてありしなり。又城中を改むるに、金銀は少しもなかりしとぞ。
※『名将言行録』巻之三十六 石田三成
かくして刑場の露と消えた三成。これまで五奉行の一人として豊臣政権を切り盛りしてきたのですから、さぞかし莫大な財産を蓄え込んでいることだろう……そう思った手合いも少なからずいたことでしょう。
しかし三成の本拠地である佐和山城が陥落した後、城内を探ってみると粗末や粗末。壁は土がむき出し、床は畳もなく、障子や襖は反古紙(書き損じの紙)を張っている有り様。
庭にはまともな植え木もなく、手水鉢も実に粗末。そして金銀の蓄えなどほとんどありませんでした。まさに私財を投じて公正無私の政治を行い、豊臣家への忠義をまっとうしていたのです。
その誠意が少しでも周囲に理解されていれば、歴史は大きく変わっていたかも知れませんね。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、天下の義将・石田三成がどのような最期を遂げるのか、今から心して見届けたいと思います。
※参考文献:
- 岡谷繁実『名将言行録(五)』岩波文庫、1944年5月
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