- No.145【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ
- No.144「どうする家康」最後はみんなで海老すくい…最終回放送「神の君へ」振り返り
- No.143【最終回予習】本当に色々(1616年)あったね…徳川家康の死から「神の君」となるまで【どうする家康】
無礼にも程がある!北条氏政・氏直父子と対面した神の君・徳川家康は…【どうする家康】:2ページ目
初っ端からナメ切った態度
「……やっぱり」
いざ会場に到着した忠次は、心の声が洩れてしまったかも知れません。
それもそのはず。最上座には氏政が堂々と鎮座し、次席には一族の北条氏照(氏政の弟)がふんぞり返っているのですから。
普通こういう時は、ゲストに最上座を譲り、ホストは次席で迎えるものではないでしょうか。
「徳川殿、よう参られたな。さぁさぁ、席につかれるがよいぞ」
当日は忠次の外に井伊直政や榊原康政も随行していましたが、彼らも必死に怒りを堪えたことと思われます。
「ところで徳川殿。上方へはいつ攻め上がろうか?」
酒が回ってきたところで、北条氏規(氏政の兄)が訊ねてきました。
(まったく、今のそなたらが秀吉と正面から戦って、勝てるなどと本気で思うとるのか)
どれほど夜郎自大なのか……とは思っても、今日はお説教に来た訳ではありません。
「まぁ上方のことはひとまず脇に置いておいて、此度は北条家と徳川家の親睦に参ったゆえ、難しい話はまた後日と致しましょう」
とか何とかはぐらかしておきながら、家康は続けました。
「ただ、もし上方と事が起こった際には、それがしが先鋒として京都まで攻め上がりましょう。また奥州で何か起こった際にも、それがしに先鋒をお任せいただければ、三年も待たず賊輩を平らげてご覧に入れましょうぞ」
この申し出に北条家の一同は感心。家康は完全に我らが味方、そう大いに喜んだということです。
バックナンバー
- No.145【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ
- No.144「どうする家康」最後はみんなで海老すくい…最終回放送「神の君へ」振り返り
- No.143【最終回予習】本当に色々(1616年)あったね…徳川家康の死から「神の君」となるまで【どうする家康】
- No.142「どうする家康」共に乱世の夢を見ようぞ!第47回放送「乱世の亡霊」振り返り
- No.141二代将軍・徳川秀忠には息子が二人、どちらが将軍に相応しいか家康が課した試験とは?【どうする家康 外伝】