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無礼にも程がある!北条氏政・氏直父子と対面した神の君・徳川家康は…【どうする家康】:2ページ目
初っ端からナメ切った態度
「……やっぱり」
いざ会場に到着した忠次は、心の声が洩れてしまったかも知れません。
それもそのはず。最上座には氏政が堂々と鎮座し、次席には一族の北条氏照(氏政の弟)がふんぞり返っているのですから。
普通こういう時は、ゲストに最上座を譲り、ホストは次席で迎えるものではないでしょうか。
「徳川殿、よう参られたな。さぁさぁ、席につかれるがよいぞ」
当日は忠次の外に井伊直政や榊原康政も随行していましたが、彼らも必死に怒りを堪えたことと思われます。
「ところで徳川殿。上方へはいつ攻め上がろうか?」
酒が回ってきたところで、北条氏規(氏政の兄)が訊ねてきました。
(まったく、今のそなたらが秀吉と正面から戦って、勝てるなどと本気で思うとるのか)
どれほど夜郎自大なのか……とは思っても、今日はお説教に来た訳ではありません。
「まぁ上方のことはひとまず脇に置いておいて、此度は北条家と徳川家の親睦に参ったゆえ、難しい話はまた後日と致しましょう」
とか何とかはぐらかしておきながら、家康は続けました。
「ただ、もし上方と事が起こった際には、それがしが先鋒として京都まで攻め上がりましょう。また奥州で何か起こった際にも、それがしに先鋒をお任せいただければ、三年も待たず賊輩を平らげてご覧に入れましょうぞ」
この申し出に北条家の一同は感心。家康は完全に我らが味方、そう大いに喜んだということです。
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