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大坂の陣で壮絶な最期!石川数正の次男・勝千代(石川康勝)がたどった生涯【どうする家康】:3ページ目
大坂の陣で壮絶な最期
かくして浪人となってしまった康勝は、慶長19年(1614年)に家康が豊臣討伐(大坂冬の陣)の兵を挙げると、兄と共に秀頼の加勢に駆けつけました。
大坂城に立て篭もった康勝は、松平忠直(まつだいら ただなお。秀康の子で家康の孫)の部隊を砲撃しようとしたところ、誤って火薬を爆発させてしまいます。
この事故で康勝も負傷してしまい、これを内応の合図と勘違いした寄手が一気に攻めて来ました。
しかし城方の守りは堅く、奮戦の末にこれを撃退。何とか一矢報いたのでした。
康勝はじめ諸将の働きが奏功して、ひとまず停戦に持ち込んだ豊臣方。しかし何やかんやで大坂城の堀を埋め立ててしまった徳川方は、翌慶長20年(1615年)に再び攻め込んで来ました。
これが後世に伝わる大坂夏の陣。もはや後のない康勝らは、決死の覚悟で挑みます。
5月7日、真田信繁(さなだ のぶしげ。真田幸村)の寄騎として天王寺口の戦闘に参加。敵味方入り乱れる中で壮絶な最期を遂げたということです。
終わりに
以上、石川康勝の生涯をたどってきました。
ちなみに康勝は茶人・古田織部(ふるた おりべ)に茶の湯を学んでおり、死の直前4月22日に兄と共に免許皆伝を受けています。
たとえ死を覚悟していても、茶の湯に安らぎを求めた康勝。激動の日々を生き抜く中で、茶を点てるひとときはかけがえのないものだった事でしょう。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな活躍を魅せてくれるでしょうか。今から楽しみですね!
※参考文献:
- 『寛政重脩諸家譜 第一輯』国立国会図書館デジタルコレクション
- 高柳光壽ら『戦国人名辞典』吉川弘文館、1963年2月
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