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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 小牧・長久手の戦いで討死!池田恒興(徳重聡)の生涯をたどる【どうする家康】

小牧・長久手の戦いで討死!池田恒興(徳重聡)の生涯をたどる【どうする家康】:2ページ目

天正6年(1578年)には謀叛を起こした荒木村重(あらき むらしげ)を摂津国有岡城に攻め立て、天正8年(1580年)に摂津国尼崎城・花隈城を攻略。これらの戦功によって有岡城(伊丹城)を与えられます。

天正10年(1582年)6月に信長が本能寺で横死を遂げた際、恒興は中国戦線(毛利攻め)から引き返してきた羽柴秀吉(演:ムロツヨシ)と合流。信長の仇討ち合戦である山崎の戦いで武功を立てました。

『太閤記』によればこの時の論功行賞により、恒興は摂津国大坂・尼崎・兵庫12万石を賜わったそうです。

信長の菩提を弔うために出家して勝入と号した恒興は、織田家の宿老として信長の後継者選び「清須会議(清洲会議)」に出席。秀吉らと共に三法師(後の織田秀信)を推します。

天正11年(1583年)の賤ヶ岳合戦で柴田勝家(演:吉原光夫)が滅ぼされると、ますます秀吉に接近した恒興。翌天正12年(1584年)に秀吉が徳川家康(演:松本潤)と対立した小牧・長久手の合戦では当然のごとく秀吉に与しました。

ここで勝利を収めれば尾張一国を与えてくれる。そうと聞いて大張り切りの恒興でしたが、4月9日の岩崎城攻めにおいて嫡男の池田元助(もとすけ)、同僚の森長可(もり ながよし)ともども討死してしまったのです。享年49歳。

終わりに

……敵は九日の朝池田父子先陣して。……名あるつはものどもあまたうたれ。秀次はからうじて落延たり……

※『東照宮御実紀』巻三 天正十二年「小牧山役(長湫戦、大戦之四)」

以上、池田恒興の生涯を駆け足でたどってきました。ちなみに恒興の次男・池田輝政(てるまさ)は家康の次女・おふう(督姫。北条滅亡後に再婚)を娶っています。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」でも小牧・長久手で壮絶な最期が描かれるであろう池田恒興。徳重聡の熱演に期待ですね!

※参考文献:

  • 『新訂 寛政重修諸家譜 第五』続群書類従完成会、1964年11月
  • 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』吉川弘文館、2010年11月
 

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