血で血を洗う戦いの始まりから収束まで…織田信長と本願寺が対立し続けた理由とその経緯【後編】:2ページ目
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そして現代へ…
こうなるとどうしようもありません。1580年3月、顕如は信長に降伏し、彼らは本願寺を退去します。そしてそれから間を置かず、なぜか本願寺は原因不明の火災によって焼け落ちました。
こうして10年間に渡る信長と本願寺の戦いは終結したのですが、実際にはもう少しいざこざがあったようです。顕如の長男である教如は、降伏することに反対し、父親がいなくなった後もしばらくの間、本願寺に立てこもっています。
そして顕如が没した後は三男である準如が法主を継ぎ、長男の教如は独立して東本願寺を建てます。これに対して、准如がいる寺は西本願寺として位置づけられることになり、こうして現在の二つの本願寺の原型ができあがったのでした。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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