瀬名(有村架純)が築山殿に住んだ本当の理由。徳川家康(松本潤)に送った手紙が切なすぎた【どうする家康】
三河一向一揆以来、民の声を届けるためとして岡崎城外の築山(愛知県岡崎市久右ヱ門町と推定)に居を構えた瀬名(演:有村架純)。
この事から築山殿(つきやまどの)と呼ばれるようになった……というNHK大河ドラマ「どうする家康」の設定ですが、もしかしたら別居の真相は少し違ったのかも知れません。
今回は『士談会稿』より、瀬名が徳川家康(演:松本潤)に送った、こんな書状を紹介したいと思います。
一念悪鬼となり、やがて思ひしらせまいらすべし
我身こそ実の妻にて、御家督三郎ためにも母なれば、あながちに御賞翫あるべき事なリ。そのうへ吾父刑部どのは、御身故に失はれまいらせたり。其娘なれば、かたがた人にこえて、御憐みあらんとかねては思ひ侍るに、思の外引かへてかくすさめられまいらせず。郭公の一声に明安き夏の短夜だに、秋の八千夜とあかしわび、片敷袖のうたた寐に夢見るほどもまどろまねば、床は涙のうみとなり、唐船もよせぬべし。いまこそつらくあたらせ給ふとも、一念悪鬼となり、やがて思ひしらせまいらすべし。
※『士談会稿』より
……私こそはあなた様の正室で、嫡男・三郎(徳川信康)の母なのですから、もっと愛情を注いで下さってもいいのではないでしょうか。
そもそも私の父・関口刑部(氏純)は、あなたが今川を裏切った責任をとって切腹させられたのです。
あなたのせいで両親を喪った私を、少しは憐れんで下さるかと思ったら、何ですかこの待遇は。カッコウの啼き声が響きわたり、夏の短い夜さえも秋の夜長が八千日分にも感じられる寂しさ。あなた解りますか?
片敷袖(かたしきそで。袖片敷、独り寝)に夢も見られぬ寝心地の悪さ、気づけば床は涙の海、唐船(からぶね)さえ私を訪ねてはくれません。
重い女と思われるでしょうが、私はたとえ鬼になろうと、あなた愛(いと)しの一念を届けたいのです……
ページ: 1 2