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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 【三河一向一揆】裏切った家臣たちをどうする?許す?家康の決断やいかに【どうする家康】

【三河一向一揆】裏切った家臣たちをどうする?許す?家康の決断やいかに【どうする家康】

戸田三郎右衛門忠次の献策と武功

そんな中、もともと一向門徒でもないのに一揆に加担した者もいたようです。時は少しさかのぼりまして、まだ一揆勢と交戦中のこと……。

……又戸田三郎右衛門忠次は佐崎の本證寺にありと聞しめし。たはけめ。彼は元来浄土門にて一向門徒にもあらざるを。呼と有て召出されしに。忠次人に語りしは。殿の召るゝゆへ出ぬ、全く臆して狭間をくゞりしにあらずとて。さて三月の内にこの砦をせめ落さむと申す。いかなる計略か有とはせたまへば。當場の下水の樋の口廣し。これより人をいれて焼立るほどならば即座に落んといふ。よて大久保七郎右衛門忠世に命ぜられ。忠次を郷導としかの砦を攻しめ。遂に是を陥る。この時忠次奮戦して鉄砲に中りて疵蒙りしかば。御感あつて国光の御脇差をたまひけるとぞ。(古人物語。武徳編年集成。)

※『東照宮御実紀附録』巻二「門徒帰降之條件」

「この戯けめ!そなたは浄土宗ではなかったか!」

浄土宗と浄土真宗(一向宗)は、一字違いで大違い。また三河一向一揆においては、同じ一向宗であっても宗派によっては家康に味方する寺もありました。

「信仰に背いたなら仕方ないとは思ったが……そなたは元からわしを裏切る気だったな!今さらノコノコ帰参しおって、絶対に許さぬ!」

もうカンカンの家康。戸田三郎右衛門忠次(とだ さぶろうゑもんただつぐ)は何とか許してもらおうと、必死に“悪知恵”を絞り出します。

「し、暫く!あの……そうだ、あと三月(みつき)の内にあの砦(文脈からすると本證寺?)を攻め落としてご覧に入れまする!」

「ふん……いかにして落とすのか、聞くだけは聞いてやろう」

「砦の下水溝から侵入し、中から火を放ちまする」

「それは妙案。七郎右衛門(大久保忠世)、ただちにかかれ」

「ははあ」

という訳で、三郎右衛門を先導として下水から砦の内部へ潜入。大いに暴れ回ったすえ、砦は陥落したのでした。

この時、三郎右衛門は鉄砲によって負傷。必死の働きに感じ入った家康はその謀叛を許し、褒美に国光(くにみつ)の脇差を与えたということです。めでたしめでたし。

終わりに

古来「雨降って地固まる」とはよく言ったもので、三河一向一揆を通して結束の強まった松平家臣団。一度は寝返った者たちも罪を赦され、命を助けられた恩義を感じていっそう忠勤に励んだことでしょう。

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、再構築される三河武士主従の絆をどのように描くのか(まさか、あの“海老すくい”でおしまいではないでしょうね?)、これからも楽しみにしています!

※参考文献:

  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
 

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