北条時政・義時・泰時の後は?鎌倉幕府の歴代執権17代を一挙紹介!【鎌倉殿の13人】:4ページ目
第12代・北条熙時(ひろとき)
生没:弘安2年(1279年)生~正和4年(1315年)没(37歳)
在職:応長2年(1312年)6月~正和4年(1315年)7月(3年1ヶ月)
官位:正五位下/相模守
将軍:守邦親王(第9末代)
【義時との関係】玄孫(政村の曾孫)
【主な事績】嘉元の乱で父・宗方や祖父・時村たちが討たれたものの生き延びる。執権職を継いだが内管領の傀儡に。
第13代・北条基時(もととき)
生没:弘安9年(1286年)生~元弘3年(1333年)没(48歳)
在職:正和4年(1315年)7月~正和5年(1316年)7月(1年)
官位:正五位下/相模守
将軍:守邦親王(第9末代)
【義時との関係】玄孫(義時三男・重時の曾孫)
【主な事績】貞時嫡男・高時への中継ぎとして執権に。執権職を譲ってからは政界も引退。後醍醐天皇の討幕運動(元弘の乱)では畿内の反幕勢力追討に従軍。やがて新田義貞らが鎌倉へ攻め込むと化粧坂を防衛するも、最期は自害。
第14代・北条高時(たかとき)
生没:嘉元元年(1304年)生~元弘3年(1333年)没(30歳)
在職:正和5年(1316年)7月~正中3年(1326年)2月(9年7か月)
官位:従四位下/修理権大夫
将軍:守邦親王(第9末代)
【義時との関係】昆孫(貞時の子)
【主な事績】酒色に溺れ、田楽と闘犬に明け暮れた暗君というイメージが強いものの、法論に勝利した法華宗(日蓮宗)の布教を許可するなど道理を通す一面も。在任中は反乱が相次ぎ、最期は東勝寺(現:腹切りやぐら)で自刃。
第15代・北条貞顕(さだあき)
生没:弘安元年(1278年)生~元弘3年(1333年)没(56歳)
在職:正中3年(1326年)3月16日~正中3年(1326年)3月26日(0年0ヶ月11日)
官位:従四位上/修理権大夫
将軍:守邦親王(第9末代)
【義時との関係】玄孫(義時五男・実泰の曾孫)
【主な事績】たった11日間で何をしろと!?高時の信任篤く病気で引退した跡を継ぎ、やる気満々だったものの、貞顕の就任ボイコットが相次いだため辞任(嘉暦騒動)。最後は東勝寺で自刃。