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北条時政・義時・泰時の後は?鎌倉幕府の歴代執権17代を一挙紹介!【鎌倉殿の13人】

北条時政・義時・泰時の後は?鎌倉幕府の歴代執権17代を一挙紹介!【鎌倉殿の13人】

第4代・北条経時(つねとき)

生没:元仁元年(1224年)生~寛元4年(1246年)没(23歳)
在職:仁治3年(1242年)6月~寛元4年(1246年)3月(3年9ヶ月)
官位:正五位下/武蔵守
将軍:藤原頼経(第4代)・藤原頼嗣(第5代)

【義時との関係】曾孫(泰時の孫)

【主な事績】父・北条時氏(ときうじ。泰時嫡男)が既に亡かったため執権に。訴訟制度の改革などに取り組むが、将軍・藤原頼経(ふじわらの よりつね)はじめ反執権派と対立する中で夭折。

第5代・北条時頼(ときより)

生没:嘉禄3年(1227年)生~弘長3年(1263年)没(37歳)
在職:寛元4年(1246年)3月~康元元年(1256年)11月(10年8ヶ月)
官位:正五位下/相模守
将軍:藤原頼嗣(第5代)・宗尊親王(第6代)

【義時との関係】曾孫(経時の弟)

【主な事績】急死した兄の後を継いで執権に。反執権派によるクーデターを未然に防ぎ(宮騒動)、大御所・頼経を京都へ追放。頼経の鎌倉復帰を狙う三浦一族との最終決戦(宝治合戦)を制し、北条の勢力基盤を盤石にする。

第6代・北条長時(ながとき)

生没:寛喜2年(1230年)生~文永元年(1264年)没(35歳)
在職:康元元年(1256年)11月~文永元年(1264年)7月(7年7ヶ月)
官位:従五位上/武蔵守
将軍:宗尊親王(第6代)

【義時との関係】孫(義時三男・北条重時の子)

【主な事績】時頼の引退に際し、その嫡男・北条時宗が成人するまでの中継ぎとして執権就任。初めて泰時子孫以外から抜擢されたが、激務のため身体を壊して辞職。

第7代・北条政村(まさむら)

生没:元久2年(1205年)生~文永10年(1273年)没(69歳)
在職:文永元年(1264年)8月~文永5年(1268年)3月(3年7ヶ月)
官位:正四位下/左京権大夫
将軍:宗尊親王(第6代)・惟康親王(第7代)

【義時との関係】嫡男(後室・伊賀氏の子)

【主な事績】義時死後、泰時との後継者争いに敗れるが不問に処される(伊賀氏の変)。その後は幕府の重鎮として活躍、時宗が成人するまでの中継ぎとして義時の死から40年越しで執権に。

3ページ目 第8代〜11代

 

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