「鎌倉殿の13人」鎌倉を取り戻す。実朝の決意に義時は…第42回放送「夢のゆくえ」振り返り:2ページ目
一、 実朝の日照り対策
關東諸御領乃貢事。自來秋可被免三分二。假令毎年一所。次第可爲巡儀之由。被仰出云々。
※『吾妻鏡』建保2年(1214年)6月13日条
時は建保2年(1214年)6月13日、実朝は坂東の将軍領地について、年貢を2/3に減免してあげる政策を打ち出しました。
しかし劇中でも言及された通り、全体の税収とバランスをとるため一年ごと順番とのことでしたが、領民たちからは不満が出ます。そりゃそうでしょう。
まず将軍領以外の領民は恩恵にあずかれないし、将軍領の者にしても今年減免されなければ「来年以降減免してあげると言われても、そんな約束あてにならない」し、そもそも苦しいのは今年なのです。
もし来年が豊作なら、減免してもらってもありがたみは薄れてしまいます。実際、劇中では長岡七郎(ながおか しちろう)なる者が領民からの苦情に困っている旨が訴えられていました。
なお、この長岡七郎について調べたものの『吾妻鏡』はじめ史料には登場せず、架空の人物と思われます。恐らく、伊豆の国市における旧地名「伊豆長岡町(田方郡)」から採ったのでしょう。
ホレ見たことか……鬼の首を取ったように「周囲の者がしっかりせねば困る」と三善康信(演:小林隆)や北条泰時(演:坂口健太郎)らを叱責しますが、政治に試行錯誤はつきものです。
「色々試してみて、ダメならまたやり方を変えていけばいいんです」
実衣の言う通り。もちろん事前の熟慮は必要ながら、天下万民のため果敢な断行が求められます。
後に天下の名宰相へと成長する泰時は、父・義時の実務能力と実朝の民を思う心を兼ね備えていったのでしょう。
「お前はどういう立場でそこにいる」
義時の詰問に対して、
「かつて父上が頼朝様の義理の弟というだけでお傍に仕えたのと同じように、私も鎌倉殿の従弟としてここにおりますが、何か」
と反論できた辺りに、着実な成長が感じられます。いつか「俺たちの泰時」が父を超える瞬間が、本作で見られると嬉しいですね。
ちなみに『吾妻鏡』では実朝が雨乞いに参加し、その祈りが通じて雨が降ったという記録があります。
甘雨降。是偏將軍家御懇祈之所致歟……
※『吾妻鏡』建保2年(1214年)6月5日条
甘雨(かんう)とは実際に甘いのではなく「恵みの雨」。せっかくなら、実朝の未熟さだけでなく、こういう仁君ぶりも見せて欲しかったです。