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「鎌倉殿の13人」鎌倉を取り戻す。実朝の決意に義時は…第42回放送「夢のゆくえ」振り返り

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一、聖徳太子を信仰する実朝

高貴な生まれに驕ることなく、常に徳を高めて天下万民に尽くした聖徳太子(しょうとくたいし)。

実朝が理想の政治家として聖徳太子を尊敬していたことは『吾妻鏡』にも記述があります。

聖徳太子十七箇條憲法。并守屋逆臣跡収公田員數在所。及所被納置于天王寺法隆寺之重寳等記。將軍家日來有御尋。廣元朝臣相尋之。今日進覽云々。

※『吾妻鏡』承元4年(1210年)10月15日条

【意訳】聖徳太子の事績などについてかねて興味をもっていた実朝。この日、大江広元よりレクチャーを受けた。

有名な十七条憲法や物部守屋(もののべの もりや)の叛逆など、古(いにしえ)の政治を学ぶことで、よき鎌倉殿になろうと努めていた実朝。まことに素晴らしいですね。

私も聖徳太子にあやかりたい。そんな思いが高じて、翌月には頼朝法華堂(持仏堂。現:頼朝公墓)で聖徳太子を供養する法事を営んでいます。

於御持佛堂。被供養聖徳太子御影〔南無佛〕。眞知房法橋隆宣爲導師。此事日來御願云々。

※『吾妻鏡』承元4年(1210年)11月22日条

【意訳】持仏堂において聖徳太子の御影をお祀りした。南無阿弥陀仏。真知房法橋隆宣(しんぢぼう ほっきょうりゅうぜん)を導師に法要を営んでいただいた。これは日ごろから願っていたことである。

かつて聖徳太子が遣隋使を送ったことから宋へ渡る計画が浮上しました。果たして今後、この聖徳太子は物語に影響を及ぼすのでしょうか。それとも単にいっときの小道具に終わるのか、今後も楽しみに見守りましょう。

6ページ目 一、丹後局から政子へ、愛の叱咤

 

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