「鎌倉殿の13人」鎌倉を取り戻す。実朝の決意に義時は…第42回放送「夢のゆくえ」振り返り:3ページ目
一、義時が「執権」を名乗る
「名乗ってしまいましょう!」
義時に執権を名乗る(就任する)よう迫る後室のえ(演:菊池凛子。伊賀局)。大舅の二階堂行政(演:野仲イサオ)も「名乗っちゃいなさい!そうでなきゃ、のえを嫁に出した甲斐がない」と孫娘を後押しします。
執権と言えば、悪名高かった父・北条時政(演:坂東彌十郎)のイメージがあるのでためらっていた義時。しかしここで決断した……という演出でした。
さっそく盟友の三浦義村(演:山本耕史)から「執権殿、執権ドノ」と茶化され、「よせよ」と振り払いじゃれ合う様子が一瞬の癒し。
しかし、義時の執権就任については諸説あります。有力なのが父・時政を追放した直後つまり元久2年(1205年)閏7月20日。
遠州禪室下向伊豆北條郡給。今日相州令奉執権事給云々……
※『吾妻鏡』元久2年(1205年)閏7月20日条
【意訳】時政が伊豆北条へ下向し、この日に義時が執権となったとか。
ただし『吾妻鏡』は鎌倉時代中期以降に編纂されており、そもそも執権という役職が泰時によって評定衆(ひょうじょうしゅう)と共に創設されたと言う説もあります。
つまり『吾妻鏡』の記述は後付けであり、元久2年(1205年)時点では「北条の家督≒執権」程度の認識だったとする解釈です。
いずれにせよ、建保2年(1214年)ごろに義時が執権となったというのは大河ドラマの創作と思われます。