夢と潰えた協力内閣構想
満州事変が発生した当初、当時の与野党が協力してこれを抑えようという動きがありました。「協力内閣構想」が存在したのです。
しかしご存じの通り、関東軍の動きを止めることはできませんでした。「協力内閣構想」はなぜ実現しなかったのでしょうか?
協力内閣構想とは、文字通り与党と野党が協力して有事を乗り越えることです。当時の日本の与党は民政党。野党の立場にあったのが政友会です。
満州事変を企てている関東軍を放置すれば、これに共鳴して国内でもクーデターが起きるのは目に見えていました。
そこで、与野党が協力して関東軍を抑える必要があると考えた民政党は、政友会に協力を呼びかけます。「協力するなら首相のポストを明け渡す」という条件まで付けています。
民政党内で協力内閣に積極的だったのは、内務大臣の安達謙蔵と首相の若槻礼次郎でした。首相が賛成をしているくらいだから話はすぐにつきそうですが、しかし、この交渉は失敗に終わりました。その理由の一つに与党・民政党内での内輪揉めがありました。
協力内閣構想に反対していたのが、外務大臣の幣原喜重郎と大蔵大臣の井上準之助です。
幣原はロンドン海軍軍縮条約を結んだ人物であり、イギリスとアメリカの信頼を得ていました。そのため彼は、野党の力を借りずともこのまま国内の軍縮を進め、いざという時はアメリカの協力を得て関東軍の問題を解決できると考えていたのです。
ちなみに「アメリカの協力」とは経済制裁のことを指しますが、実際にはアメリカも自国の経済対策に追われていて、それどころではありませんでした。