真田忍軍のルーツ
戦国時代に真田家を支えた真田忍軍は、後世で真田十勇士のモデルになるほど人気があります。
彼らが活躍したのは戦国時代の中頃から江戸時代初期にかけて。信濃国(現在の長野県及び岐阜県の一部)や上野国(現在の群馬県)を本拠地としていました。
真田氏の祖先は、平安時代に朝廷から「信濃守」として信州に赴任した滋野一族だと言われています。この滋野一族が海野・禰津・望月の三家に分かれ、そのうちの1つである海野家が、真田家のルーツです。
週刊少年ジャンプで、北条時行を主人公とした『逃げ上手の若君』という作品が連載されていますが、あの作品中にも海野・禰津・望月の三家は有能な武将の一族として登場しますね。
特に海野家は呪術や加禱喜寿に通じており、真田家も同様に呪術に通じていたとされています。
出自は「忍者の里」
真田家の領地としていた信州上田や上州吾妻一帯の地域は、古くから山伏の修行場として知られており、修験道が盛んで、忍者集団が育ちやすい環境にありました。
中でも、特に四阿山(群馬県吾妻郡嬬恋村)は修験道の聖地といわれており、伊賀や甲賀と同様に、修験道から忍術が発展していったと考えられています。
さて戦国時代の中期頃、武田信玄が信濃へ侵攻すると、真田家の棟梁・真田幸隆は信玄の家臣となり、信濃先方衆として信濃侵攻の軍役を任されます。
幸隆は佐久郡・小県郡・北信濃の在地土豪の説得や情報収集に尽力し、その過程で禰津家を家臣に加えました。
禰津家は甲陽流忍術の家元として知られ、情報収集や攪乱工作に秀でていました。その後、真田忍軍の中核は彼らが担っていくことになります。