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鎌倉時代、世界最強に狙われた「黄金の国」ジャパンが奇跡の勝利をおさめた戦いとは

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2度目の襲撃

1度目の襲撃から6年後の1281年6月6日。

復讐に燃えた元軍は前回の5倍近くになる15万もの兵を引き連れて再び侵攻してきます。
しかし日本軍も、前回の元との戦いで苦戦したこともあって外海からの敵を警戒していました。

再襲撃されるまでの6年間で博多湾岸に約20kmの防壁を築き、万全の防衛体制を整えていたのです。日本軍の石垣を利用した強固な防壁を突破できなかった元軍は、防壁のない地点からの上陸を試みます。しかし、日本軍は元軍が防壁のない地点から上陸することを見越し、潜伏。上陸の隙をついた奇襲作戦で上陸を許しませんでした。

神風と2つの説

3か月による攻防戦が続いた頃、神風(台風)が上陸したことをキッカケに元軍はついに撤退。この神風の影響により、日本軍は完全に勝利したと言われています。

ですが、「元軍は戦い中、常に海上で生活していたことと芳しくない戦況のせいで士気と体力が著しく低下しており、神風の影響がなくとも日本軍はそのまま勝利していただろう」という説もあるのです。

カミカゼだけではなかった!日本が強大な力を持っていた「元」を「元寇」で退けることができた理由

日本に奇跡的な勝利をもたらす「神風」とは?日本が奇跡的な勝利をおさめたときに、よく耳にするのが「神風が吹いた」という言葉です。第二次世界大戦で出撃した日本軍の特攻隊も「神風特攻隊」と呼ばれ…

対応をミスった鎌倉幕府。モンゴル・高麗による日本侵攻「元寇」は神風がなくても防げた?

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どちらにせよ、元を退けたことで鎌倉時代以降も日本独特の文化が築かれたことに違いはありません。当時の日本軍が強い結束力を持っていたこと、そしてタイミングよく台風がやってきたことには感謝するべきと言えるでしょう。

 

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