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「鎌倉殿の13人」富士の巻狩り、そして曽我兄弟の仇討ちは…第23回放送「狩りと獲物」予習

「鎌倉殿の13人」富士の巻狩り、そして曽我兄弟の仇討ちは…第23回放送「狩りと獲物」予習:3ページ目

山の神の怒りを買ってしまった?

まぁ気を取り直して、狩りはまだまだ続きます。みんな弓馬の腕をいかんなく披露し、風に毛が舞い、血の雨を多く降らせたと言うから凄まじい。

建久四年五月大廿七日壬辰。未明催立勢子等。終日有御狩。射手等面々顯藝。莫不風毛雨血。爰無雙大鹿一頭走來于御駕前。工藤庄司景光〔着作与美水干。駕鹿毛馬〕兼有御馬左方。此鹿者景光分也。可射取之由申請之。被仰可然之旨。本自究竸射手也。人皆扣駕見之。景光聊相開而通懸于弓手。發射一矢不令中。鹿抜于一段許之前。景光押懸打鞭。二三矢又以同前。鹿入本山畢。景光弃弓安駕云。景光十一歳以來。以狩獵爲業。而已七旬餘。莫未獲弓手物。而今心神惘然太迷惑。是則爲山神駕之條無疑歟。運命縮畢。後日諸人可思合云々。各又成奇異思之處。晩鐘之程。景光發病云々。仰云。此事尤恠異也。止狩可有還御歟云々。宿老等申不可然之由。仍自明日七ケ日可有巻狩云々。

※『吾妻鏡』建久4年(1193年)5月27日条

そんな5月27日、これまで見たこともないほどに大きな鹿が一頭姿を見せました。

「鎌倉殿、ここはそれがしが」

進み出たのは工藤庄司景光(くどう しょうじかげみつ)。11歳の時から弓馬にすぐれ、強弓をとれば狙った獲物を逃がしたことのない達者です。

「おぅ、見事射止めよ」

しかし不思議なことに、景光が生まれて初めて矢を外し、二の矢三の矢と続けて射ても、ことごとく外してしまいました。鹿はそのまま森の中へと消えていきます。

「もしかしたら、あれは山の神様が乗られている鹿だったのかも知れません。畏れ多くも射かけてしまいました。これで寿命も縮まってしまったでしょうから、もしそれがしに何かあったらお頼み申し上げる」

なんて縁起でもないことを言っていたら、日が暮れたころに景光は本当に発病してしまいました。

「やはり、我らは山の神のお怒りを買ってしまったのであろうか……」

もう鎌倉へ帰った方がいいのでは……不安がる御家人もいる中で、宿老たちは「何を弱気な。ならば明日から7日間巻狩りとしよう」ということで話を収めます。

4ページ目 工藤祐経死す。鎌倉殿の元へ向かう五郎

 

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