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【鎌倉殿の13人】あな恐ろし…任務をしくじった鮫島宗家に頼朝が下した罰とは

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甲斐源氏の有力者・一条忠頼を暗殺

しかし元暦元年(1184年)6月16日、宗家は一条次郎忠頼(いちじょう じろうただより。武田信義の嫡男)の暗殺に際して、失態を犯してしまいます。

……天野藤内遠景承別仰。取太刀進於忠頼之左方。早誅戮畢。此時武衛開御後之障子。令入給云々。其後。忠頼共侍新平太。并同甥武藤与一及山村小太郎等。自地下見主人伏死。面々取太刀。奔昇于侍之上。縡起於楚忽。祗候之輩騒動。多爲件三人被疵云々。既參于寢殿近々。重成。重朝。結城七郎朝光等相戰之。討取新平太。与一畢。山村者擬戰遠景。相隔一ケ間。取魚板打之。山村顛倒于縁下之間。遠景郎從獲其首云々。

※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)6月16日条

酒席についた忠頼を天野藤内遠景(あまの とうないとおかげ)が背後から斬り捨てたはいいものの、庭で控えていた忠頼の供侍(護衛)が異変に気づいて御所内へ乱入してきました。

新平太(しんへいた)とその甥の武藤与一(むとう よいち)、そして山村小太郎(やまむら こたろう)はめいめい太刀を抜き払います。

「謀りおったな……主の仇、討たいでか!」

早々に退室した頼朝を追って三人は大暴れし、取り押さえようとした御家人たちに多くの負傷者を出しました。

頼朝の寝所近くまで迫った三人を何とか食い止めたのは、稲毛三郎重成(いなげ さぶろうしげなり)と榛谷四郎重朝(はんがや しろうしげとも)、そして結城七郎朝光(ゆうき しちろうともみつ)。

「これ以上は行かせぬ!」

三人の奮闘により、新平太と武藤与一はたちまち斬り捨てられます。山村小太郎は遠景と対峙していたところ、魚板(まないた)でぶっ叩かれて縁の下に転げ落ち、遠景の郎従によって首を掻き切られたのでした。

ちなみに魚板というのは現代の俎板とちょっと違い、載せた魚を客の目の前で捌いて活け造りにするための食器。というよりむしろテーブルに近いもので、そんなものを振り回す遠景のワイルドぶりが目に浮かぶようです。

こうして甲斐源氏の勢力を切り崩すべく、一条忠頼の暗殺に成功したのですが……そう言えば、宗家はどこにも出てきません。何をやっていたのでしょうか。

3ページ目 同士討ちのけじめとして……

 

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