【鎌倉殿の13人】あな恐ろし…任務をしくじった鮫島宗家に頼朝が下した罰とは:3ページ目
同士討ちのけじめとして……
宗家は一条忠頼の暗殺現場で何をやっていたorやらかしたのか……その答えは、事件の翌日に判明します。
元暦元年六月小十七日甲戌。召鮫嶋四郎於御前。令切右手指給。是昨夕騒動之間。有御方討罪科之故也。
※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)6月17日条
【意訳】頼朝は鮫嶋四郎(宗家)を呼び出し、右手の指を詰め(切断)させた。これは昨夜の騒動において、味方を殺してしまったためである。
忠頼の供侍三名が暴れ回っているところへ応戦しようと斬りかかったら、何とそれは味方でした……というオチ。
なお、切断と言ってもさすがにすべての指ではなく、刀を握る時に力の入る小指と考えるのが妥当でしょう。
また、刀で斬る時に支点となる(最も力がかかる)左の小指ではないかとする説(『吾妻鏡』の誤記?)もあるようです。
もちろん故意ではないのでしょうが、仲間の命を奪ったけじめをつけさせるため指を詰める……何だか極道みたいな世界ですね。
終わりに
この一件より『吾妻鏡』からは姿を消した宗家ですが、後に薩摩国阿多郡(現:鹿児島県南さつま市)を拝領して地頭として下向。薩摩島津氏に臣従していくのでした。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では恐らく登場しないでしょうが、もしかしたら頼朝の怖さや残虐さを引き立てるため、ワンチャンスあるかも知れませんね。
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡2 平氏滅亡』吉川弘文館、2008年3月
- 五味克夫『鎌倉幕府の御家人制と南九州』戎光祥出版、2016年8月