女性であれば嫌でも付き合っていかなければいけない「生理」。毎月やってくる生理が苦痛で苦痛で仕方ない、という方も少なくないのではないでしょうか?
現代では、ナプキンやタンポン以外にも色々な選択肢が増えてきました。しかし、そのような生理用品がなかった江戸時代に、女性たちはどのように生理に対処していたのでしょうか。
調べてみると、今とは異なる事情も見えてきました。
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生理のときには「お馬」を使う!?
現代のようなナプキンがなかった江戸時代、女性たちは生理になると、前垂れがあるふんどしのような布を使っていたそうです。そして、この布が馬の顔に似ているということから「お馬」なんて呼ばれたとか。
そして、その「お馬」のなかにぼろ布や浅草紙(使用済みの和紙。現代でいう再生紙のようなもの)を入れてあてていたとか。
農村部では天然素材の使用も
上記のような浅草紙は、都市部では使うことができたものの、農村部では事情が違いました。紙は貴重だったため、その代わりに綿やススキの穂といった天然素材を使っていたそうです。