まさに明治時代の知恵袋。山岡鉄舟らの考えた地域コミュニティツール「教導石」を、庶民はどう使ったのか?:2ページ目
2ページ目: 1 2
他にも、商売の開業宣伝、発明のアイディアや演説会のお知らせ、遺失物や迷子の捜索願いなど様々な用途に貼り出してよかったらしく、現代で言うところの地域コミュニティ情報の発信・交換ツールとしても活用されたそうです。
これは「明治の新しい世の中は、何でもお上任せではなく、ひとり一人が情報を発信し、また知恵を出し合って助け合い、主体的に社会を支えていこう」という心意気によるもので、当時の人々による積極的な社会参画の意欲が偲ばれます。
終わりに
インターネットが発達した現代では、いちいち質問事項を紙に貼り出さなくても、Googleで検索すれば大抵のことが解りますが、地域コミュニティの情報交換についてはいまだに掲示板が活躍しており、教導石はその先駆けと言えるでしょう。
昔の人々は良くも悪くもお節介ですから、自分から見ればしょうもない質問であっても「ググレカス(意:Googleを使って自分で調べろ、この愚か者)」などと言わず、喜んで自分の知恵を人に貸し、お互い様の精神で支え合ったのでした。
東日本大震災(平成23・2011年3月11日)以降、何かとクローズアップされた地域の絆(きずな)。震災の記憶が風化しつつある今、こうした文化財を通して助け合いの精神を思い出していきたいですね。
※参考文献:
浅倉清ほか『ふるさと百話 2巻』静岡新聞社、1998年11月
壬生芳樹『東海道と碑 9』静岡新聞社、1994年8月
ページ: 1 2