領地を没収され、横暴な新領主に抵抗した戦国武将・君ヶ袋兼継の挙兵
日本人の名字は20万から30万ほどもあると言われ、中にはその一世帯しかないようなレアな名字もたくさんあります。
ありきたりな名字は「それだけ一族が繁栄した(血がつながっていない場合でも、他の一族があやかろうとした)証拠」ですから、その祖先を敬服する一方で、レアな名字は「困難の中にあっても、家名を絶やさず受け継いできた証拠」ですから、これまた素晴らしいことと言えるでしょう。
さて、戦国時代と言えば当然のごとく乱世であり、多くの家々が激しい戦乱の淘汰に見舞われた訳ですが、レアな名字の家≒弱小勢力にとってはまさに存亡の危機だったはずです。
今回はそんな乱世を生き抜いた東北地方の戦国武将・君ヶ袋兼継(きみがふくろ かねつぐ)のエピソードを紹介したいと思います。
祖先は鎌倉幕府の御家人・千葉氏
君ヶ袋兼継の生年は不詳、父は陸奥国加美郡(現:宮城県加美郡加美町)君ヶ袋城主の君ヶ袋常継(つねつぐ)、弟に君ヶ袋胤継(たねつぐ)がいました。
君ヶ袋氏の祖先はかつて鎌倉幕府に仕えた御家人・千葉介常胤(ちばのすけ つねたね)と言われ、その名残が父や弟の名前にうかがえます。
君ヶ袋とはずいぶん変わった名字(名地)ですが、その由来には諸説あり、袋とは袋小路すなわち奥まった土地を表わし、祖先が沼地に黍(きび)を植えたことから、いつしか沼ヶ袋から黍ヶ袋、それが訛って君ヶ袋となったそうです。
兼継の通称は九郎左衛門(くろうざゑもん)、後に主君・大崎(おおさき)氏から掃部(かもん)の官途(かんど。官位の私称)を許されたと言いますから、忠勤により相応の功労があったのでしょう。