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長寿の秘訣は何だったのか?108歳まで生きた徳川家康のブレーン・南光坊天海に訊いてみた

長寿の秘訣は何だったのか?108歳まで生きた徳川家康のブレーン・南光坊天海に訊いてみた

問:徳川家光「長寿の秘訣は?」

答:南光坊天海
「気は長く 務めはかたく 色薄く
食細くして 心広かれ」

こちらは文字通りの意味で、とてもシンプルですね。

家光は祖父・家康の英雄らしさを受け継いでいた反面、とかく短気で好色(※男性に限る)だったそうで、天海は「もうちょっと落ち着きない」と言っているようです。

「務めはかたく」とは手堅さを説いたもので、万事即断即決もいいけれど、仕事というのは(命令を受ける)相手がいるものですから、現場を顧みないでトップばかり先走ってもなかなか上手く行きません。

だからリーダーこそ(好き勝手に振る舞うのではなく)協調性をもって仕事に臨み、手堅く慎重に進めていくことで成果も上がりやすく、結果としてストレスを感じなくなってくることを説いたのでしょう。

祖父・家康の苦労を見ている父・秀忠と違って「生まれながらにして将軍」であった家光はとかく「World is Main(天下は我がもの)」を地で行ったようで、天海はその手綱を引き締められる数少ない一人だったのかも知れません。

ある時、家光が天海に柿を与えました。たいそう甘くて美味しい柿を喜んで食べた天海は、その種を懐紙に包んで袂にしまいました。

家光「そんなものを、どうするのだ」
天海「家の庭に植えようと思います」

それを聞いた家光は「もうすぐ百歳にもなろうという老人が、まったく無駄なことを(寿命に間に合うまい)」と苦笑しますが、天海は大真面目に答えます。

「天下を治められる方が、そのようなせっかちではなりませぬぞ」

果たして数年後、天海が家光に柿を献上。家光が産地を訊ねたところ

「先年、上様より頂戴いたしました我が家の柿が実りましたゆえ、真っ先に献上した次第にございます」とのこと。

古来「桃栗三年柿八年(柿が実をつけるには、植えてから8年かかる)」と言いますから、普通の人なら「もはや寿命に間に合うまい」と諦めてしまいそうなものですが、じっくり気長に構えた天海なればこそ、天も(柿が実るまで)寿命を延ばしてくれたのかも知れませんね。

※参考文献:
辻達也『日本の歴史13 江戸開府』中公文庫、2005年8月
長谷川強 校注『耳嚢』岩波書店、1991年1月
圭室文雄 編『政界の導者 天海・崇伝』吉川弘文館、2004年6月

 

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