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徳川亡き後「第4の幕府」を狙った?幕末の薩摩藩主・島津忠義の野望と英断

徳川亡き後「第4の幕府」を狙った?幕末の薩摩藩主・島津忠義の野望と英断

エピローグ

「何じゃ、徳川は滅ぼしても、幕府までなくすつもりはなかったんじゃがのぅ……」

明治維新が果たされた後、島津久光はよくボヤき……もとい公言していたそうです(島津幕府?の実現をよほど熱望していたのでしょう)。

せっかく徳川を滅ぼして、島津家に天下が巡って来たというのに、むざむざそれを手放そうとは……遠ざかりゆく「武士の世」を惜しみつつ、近代国家の建設に邁進していった島津忠義(明治維新後に改名)はじめ旧薩摩藩士たち

もしあの時、隆盛の反対を押し切って海陸軍総督に留任し、権力の階段を昇りつめて(鎌倉、室町、江戸につぐ)第4の島津幕府?が開かれていたとしたら……日本の歴史は大きく変わったことでしょう。

※参考文献:
芳即正『島津久光と明治維新 久光はなぜ、討幕を決意したか』新人物往来社、2002年12月
海音寺潮五郎『敬天愛人 西郷隆盛 三』学研プラス、2001年4月

 

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