新旧1万円札の顔「福沢諭吉」と「渋沢栄一」実は知り合いだった!2人の共通点など紹介:3ページ目
栄一に手紙を書いた諭吉
1878年頃、諭吉が栄一に宛てた手紙が大分県中津市の「福澤記念館(福澤諭吉旧居・記念館)」にて公開されていたこともあります。
2人は親密とまではいかなかったものの、長きにわたって親交がありました。
栄一のコラムを執筆
明治26年6月11日、諭吉が発行していた新聞「時事新報」に、「一覚宿昔青雲夢」というタイトルで記事が掲載されています。
執筆したのは諭吉で、内容は、「役人での出世を目指す風潮のなか、役人を辞め、経済を発展させるために実業家としての道を選んだ栄一の生き方に共感した」というものです。
このことから、諭吉が栄一のことを高く評価していたことがうかがえます。
新旧1万円札を並べてみれば
1万円札の顔に選ばれた福沢諭吉と渋沢栄一は、どちらも日本の発展には欠かせなかった素晴らしい歴史偉人です。
幕末から明治と同じ時代を生きた2人は、この記事で紹介したように共通点もあり、長きにわたる親交もありました。
新旧1万円札を手元に置いて眺めれば、2人のことをもっと知りたくなるかもしれません。