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八重洲、鍛治町、神保町…どこまで知ってる?江戸時代から続く東京の地名由来を一挙紹介
ふだんなにげなく通り過ぎている町の由来をどこまで知っていますか?
江戸時代から続く東京の地名の由来を一部ですが、2つの分類でざっとご紹介します。
知っている人から意外な人まで~人名編
八重洲
オランダ人の朱印船貿易家、ヤン・ヨースデンにちなみます。
慶長五年(1600)、ウィリアム・アダムズ(のちの三浦按針)らとともに航海中、豊後国(大分県)に漂着し、徳川家康に仕えて朱印船貿易に従事しました。日本名は耶揚子(やようす)といい、その名前がなまって住んでいた場所が八重洲河岸と呼ばれました。今は埋め立てられていますが八重洲は海に近かったのです。
紀尾井町
紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家それぞれの中屋敷があったことから、三家から一文字ずつ取って名付けられました。明治以降は政府用地などになり、高級ホテルや大学の一部となっています。また、清水谷公園には暗殺された大久保利通の哀悼碑もあります。
神保町
武家屋敷が多く立ち並ぶ場所で、元禄年間に旗本の神保長治が名前の由来といわれています。神保長治は書院番から昇進し元禄2年(1689年)に日光山の検分を命じられ最終的には正徳2年(1712年)に佐渡奉行となった人物です。
有楽町
有楽町の名は織田信長の弟で茶人としても名高い織田有楽斎が屋敷を構えたことに由来します。屋敷跡は有楽原といわれ、明治期に有楽町と名付けられました。
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