子供も大人もみんな大好き?駄菓子の定番「中野の都こんぶ」90年の歴史
私事で恐縮ながら、いい中年にもなって駄菓子が好きです。特に酢昆布(すこんぶ)の「中野の都こんぶ」が好きなのですが、子供のころ、こんなことがありました。
「お、酢昆布じゃん。一枚おくれよ」
「お前アホだな。これは『すこんぶ』じゃなくて『つこんぶ』だよ」
「え?酢漬け昆布で『すこんぶ』じゃないのか?」
「パッケージをよく見ろよ。都は『つ』だから『つこんぶ』だよ」
「えぇ?」
「都(みやこ)と書いて、都合(つごう)とか名字の都築(つづき)とか言うけど『す』とは読まないだろ?」
「そーなのかー?」
結局「都こんぶ」はストレートに「みやここんぶ」と読めばよいのだと知ったのは後の話。
当時はけっこう友達うちで「すこんぶ派」と「つこんぶ派」に分かれていましたが、聡明な正統「みやここんぶ派」は、不毛な争いに加わらなかったようです。
……とまぁしょうもない昔話でしたが、今回はそんな「中野の都こんぶ」について、その歴史を紹介したいと思います。
一口しゃぶれば都の香り?
中野の都こんぶはその名の通り中野正一(なかの しょういち)によって生み出されました。
大正元年(1912年)に京都府で生まれた正一は、尋常小学校を卒業後に大阪府堺市の昆布問屋へ丁稚奉公に出されます。
厳しい生活の中で数少ない楽しみと言えば、倉庫の片隅で売り物にならない昆布の切れっぱしをかじること。昆布は加工しやすくするため酢漬けにされており、それが昆布の甘みと相まって何とも言えない味わいだったようです。
「これ、もうちょい甘くしたらお菓子として売れるんちゃうやろか?」
さっそく商品化に向けて実験を始めた正一ですが、砂糖の甘みは昆布に浸透しないため失敗、その後あれこれ試した結果、黒蜜にたどり着いたそうですが、きっと現代とは大きく違う味わいだったことでしょう。
「よっしゃ、これならいけるで!」
果たして19歳になった正一は昭和6年(1931年)、奉公先から独立して酢昆布を売り出すべく中野商店を創業しました。