子供も大人もみんな大好き?駄菓子の定番「中野の都こんぶ」90年の歴史:2ページ目
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「せっかくやから酢昆布に商品名をつけたいな……なんやこう、オリジナリティっちゅうか、子供から大人まで愛されるような、それでいて安っぽぅのぉて品性が感じられるような……」
そこで思いついたネーミングが「都こんぶ」。正一の生まれ故郷である京「都」府への憧れと、あえてのひらがな「こんぶ」表記が、絶妙な和感を味わわせてくれます。
「一口しゃぶれば都の香り……えぇな、これでいってみよう!」
正一は大阪各地の駄菓子屋はもちろんのこと、当時流行り始めていた紙芝居屋にも都こんぶを売り込み、他の駄菓子にはない味わいが子供たちの心をつかみ、ヒット商品になったのでした。
更に正一は「これ、大人にもウケそうやから、もっと他のとこでも売ってみよか」と映画館や劇場、キオスクなどにも販路を広げ、陳列棚で目を引くよう、手のひらサイズの赤い箱に入れました。これが現代のパッケージの原形です。
その後、大東亜戦争(昭和16・1941年~同20・1945年)への出征による販売中断や、いっとき甘味料が仕えなくなって売り上げが落ち込んだこともありましたが、創意工夫によって現代でも愛されるロングセラーとなっています。
ところで『都こんぶ』と言えば「中野の都こんぶ」だけかと思っていたら、実は「山口の都こんぶ」という駄菓子もあるそうで、もし手に入ったら食べ比べてみたいものです。
※参考:
都こんぶヒストリー|『都こんぶ』の中野物産株式会社
串間努『ザ・駄菓子百科事典』扶桑社、2002年2月
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