想う相手はただひとり…精神的つながりも重んじる命をかけた武士同士の愛「衆道」【後編】
男同士が愛し合う男色の道は、平安時代から室町、江戸を通じて特権階級から武士の社会、庶民へと広がっていきました。
そして、江戸時代には「衆道(しゅうどう)」と呼ばれる、命がけの本格的なものとして武家社会に広がったのです。
こちらの【前編】もぜひご覧ください。
想う相手はただひとり…精神的つながりも重んじる命をかけた武士同士の愛「衆道」【前編】
男同士が愛し合う、「男色」の道。今ではBL(ボーイズラブ)などとも呼ばれていますが、実は日本での歴史は古く平安末期には存在していました。そして、男色は室町時代以降、特権階級から庶民にまで広がっ…
主君と若き小姓の愛
「衆道」とは、男色の中で武士同士のものを指し、「若衆道(わかしゅうどう)」を略した者です。
主君と年少の「小姓」(将軍のそばでつかえる者)の間の、男色の契りのことを指し、将軍の性愛の対象となっただけではなく主君との精神的な結びつきも重んじられていました。
江戸時代以前の男色は決して「快楽のため」だけではない?恒例の儀式や同志の契りを交わす意味も大きかった
先日の記事でも少し触れましたが、江戸時代の書物や浮世絵には女性同士の同性愛に関するものが少ないのに対し、男性同士に関するものは、当時の男色(男性同士の同性愛)の環境がどのようなものだったかを知るには事…
また、組織の長につかえることで、高度な教養・戦術・戦略運営方法などを学び、成長してからは重臣となって活躍する人物も多かったそうです。
妻を残し戦場で長期間過ごす際に、女性の代わりに若い小姓を性愛の対象にしたという説もありますが、長期戦の場合は、陣中に周辺の遊女たちが集まったなどという例もあり、ただの性愛の対象とは異なっていたともいわれています。