想う相手はただひとり…精神的つながりも重んじる命をかけた武士同士の愛「衆道」【後編】:2ページ目
命がけの愛
江戸時代の佐賀藩士・山本常朝が口述した武士の心得書「葉隠(はがくれ)」(1716年)の中では、
「命を捨てるが衆道の至極也。さなければ恥に成也。然れば主に奉る命なし」とあります。
命を捨てることが「衆道」の境地で、さもなければ恥である……
ただの男性間の性愛だけではなく命がけの忠義の心も説いているのですね。
ただし、主従関係間だけではなく「同輩関係」の関係も見られるようになりました。
「葉隠」の中には、
情は一生一人のもの也。さなければ、野郎・かげまに同く、へらはる女にひとし。是は武士の恥也。
念友は五年程試し志を見届たらば、此方よりも頼むべし。うわ気者は根に不入、後は見はなすもの也。
互に命を捨る後見なれば、能々性根を見届也。くねる者あらば「障ある」と云て手強く振切べし。「障は」とあらば、「夫は命の内に申べしや」と云て、
むたいに申さば、腹立、尚無理ならば切捨べし。又、男の方は若衆の心底を見届る事前に同じ。命を擲て五年はまれば、叶はぬと云事なし。
とあります。
つまり、衆道を結んだ武士同士は、命がけで助け合う契りを結ぶもので、
「互いに想う相手は一生にただひとり」
「相手を何度も取り替えるなどは言語道断」
「5年は付き合ってみて、よく相手の人間性を見極めるべき」
としています。
もし、相手は信用できない浮気者であれば付き合う価値はないので別れるべきで、怒鳴ってもまとわりついてくるのであれば切り捨てろと、はっきりと「誠実な愛」が大切であることを説いているのです。