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想う相手はただひとり…精神的つながりも重んじる命をかけた武士同士の愛「衆道」【後編】

想う相手はただひとり…精神的つながりも重んじる命をかけた武士同士の愛「衆道」【後編】:3ページ目

新撰組の中でも流行った

江戸時代の中頃になると、忠義の心よりも男色の相手との関係を大切にしたり美少年をめぐる刃傷事件などの諍いが発生し、徐々に衆道は問題視され江戸の後半になると次第に目立たなくなっていきました。

しかしながら、武士道精神と関わる男同士の情愛は、いろいろな形で続き、薩摩藩の衆道は幕末維新まで続いたといわれています。

明治治元年(1864年)、新撰組の近藤勇が友人の中島次郎兵衛に送った書簡には「局内で男色が流行っている」と記していたそうです。

明治維新の頃からさまざまな理由で衰退

いにしえの時から、貴族、寺院、そして戦国武将、庶民、武士へと広がった男色

「衆道」と呼ばれる武士同士の義兄弟的関係の男色は、明治維新の頃から同性愛を悪とする西洋のキリスト教の広まりや、遊郭が手頃に遊べる場所になったこと、都市部の女性人口が大幅に増加したなどの理由で、急速に衰退したといわれています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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