天下分け目の攻防戦!陥落する城から脱出した少女の回想記「おあむ物語」:2ページ目
生首の中で寝起きする日々…後方支援も大忙し
さて、去暦たちが前線で奮闘している最中、後方ではおあんたちも自らの任務に励んでおりました。その中の一つに「首級のメンテナンス」があります。
味方が前線から持ってきた首級に、名前などを記した首札(くびふだ)をつけて帳面につけ、論功行賞の参考とするのです。
※首級の取り扱いについてはこちらも参考に。
戦国時代、討ち取った敵の首はどうなる?首級が本物か確認する儀式「首実検」とは
また、ちょっとでも評価が上がるよう、討ち取った敵が立派だったとアピールするため首級はキレイに洗って死化粧を施し、お歯黒までつけたと言います。
(※当時、身分の高い者は貴族だけでなく武士でもお歯黒をしていました。ちょっと意外な気もしますね)
とつた首を。天守へあつめられて。それそれに。札をつけて。覚えおき。さいさい。くびにおはぐろを付て。おじやる。それはなぜなりや。むかしは。おはぐろ首は。よき人とて。賞翫(しやうくわん)した。それ故。しら歯の首は。おはぐろ付て給はれと。たのまれて。おじやつたが。くびもこはいものでは。あらない。その首どもの血くさき中に。寝たことでおじやつた。
【意訳】
討ち取った首級を天守閣に集め、それぞれ首札をつけて細かく記録した。首級にお歯黒をつけるのはなぜか?昔はお歯黒が貴人の証しであったから、白い歯の首級はお歯黒をつけるよう言われたが、少し慣れると生首も怖くなくなり、その血腥い中で寝起きしていた。
また、怖くなくなったと言えば、最初は城内へ撃ち込まれる鉄砲や石火矢(いしびや。大砲)の轟音に生きた心地もしなかったそうですが、それが何時間も何日も続くと不思議なもので、だんだん感覚が麻痺して何とも思わなくなったそうです。
むしろ城内へ撃ち込まれた弾丸や砲弾をせっせと回収して熔かし、用意した型に鋳込んでリサイクルしていたと言いますから、そのしたたかさには感心させられます。
明日は落城…差し伸べられた救いの矢文
さて、そんな調子で徹底抗戦していた大垣城でしたが、調略によって城将が次々と寝返り、また誘いに乗らなかった者たちは一網打尽に謀殺された結果、総大将の福原長尭を除いて指揮官がほとんどいなくなってしまいました。
日に日に銃撃も激しくなり、弾丸が天守閣にまで届くようになると、おあんの弟が被弾し、そのまま死んでしまいます。
この分なら、明日にはいよいよ落城だ……覚悟を決めたある夜のこと、おあん達の元へ父・去暦がやって来ました。
「よく聞け……今夜、城より落ちる。他言は無用ぞ」
話によると、去暦が守備する城門へ一通の矢文が射込まれ、そこにはこう書かれていました。
去暦事は。家康様御手ならひの御師匠申された。わけのあるものじやほどに。城をのがれたくは。御たすけ有べし。何方へなりとも。おち候へ。路次のわづらひも。候まじ。
【意訳】
あなた(去暦)はかつて、家康様に手習いを教えられたとのことで、家康様も殺すに忍びないと仰せである。もし城を脱出するなら、身柄の安全を保障しますから、どこへでも落ち延びて下さい。
矢文の主は田中兵部(たなか ひょうぶ。吉政)とのことで、この時は近江国の佐和山城(現:滋賀県彦根市)を攻めていた筈ですが、ともあれ、おあんの記憶ではそうだとの事です。
(※)一説には、大垣城にいたというおあんの記憶違いで、本当は佐和山城にいたのでは?とも言われています。
「そう言えば、先刻不思議なことがございました……」
真夜中(九つ時分。午前0:00前後)になると、男女30名ばかりが「田中兵部どのゝう、田中兵部どのゝう……」と叫び声を上げたと思ったら泣き出して……他の者に確認しても「そんな声は聞こえなかった」とのこと。
「これはきっと、田中兵部殿がお助け下さることの暗示だったのかも知れませんね」
「ともあれ、決行は今夜。持ち物は最低限とし、断じて口外するでないぞ」
さて、いよいよ大垣城からの脱出です。去暦はじめ妻と兄とおあんの4名は天守閣の西側から大ダライを吊り下げ、1人ずつ漕がせて渡らせることに成功します。
「よし、急げ!」
約束どおり敵兵が見逃してくれたので、大急ぎで城から脱出。北へ5、6町(1町≒約109m)ほども走ったところ、にわかに産気づいた母が出産。女の子でした。
逃亡中なので満足な用意もなく、田んぼの水で産湯をつかうような状態でしたが、ともあれみんな無事に逃げ延びることが出来たのでした。