天下分け目の攻防戦!陥落する城から脱出した少女の回想記「おあむ物語」:3ページ目
エピローグ
それからと言うもの、浪人となった去暦一家は土佐国(現:高知県)で仕官していた親族の雨森儀右衛門(あめのもり ぎゑもん。氏行)を頼って移住。
「何とか口利きを……」
「ならば相応の礼を……」
と言ったかどうだか、おあんは儀右衛門に嫁ぐこととなり、お陰で兄の助丞は土佐の大名・山内一豊(やまのうち かずとよ)の馬廻役に取り立てられたのでした。
「それまでは着るものも食べるものも、本当に苦労したものでした……」
何かにつけて昔の苦労話を引っ張り出して、子供たちの好き嫌いや贅沢などを戒めたため、この土地ではそういう行為や人を「彦根婆(ひこねばば。おあんの故郷)」あるいは単に「彦根」と言うようになった、と言われるそうです。
その後、おあん達が天寿をまっとうできたのかは知られていませんが、山田家の子孫は代々土佐藩に仕え、近現代に至るまで活躍してます。
※参考文献:
中村通夫ら校訂『雑兵物語 おあむ物語 附おきく物語』岩波文庫、1943年5月
『高知県人名事典新版』刊行委員会『高知県人名事典』高知新聞社、1999年9月