三浦春馬 主演!映画『天外者(てんがらもん)』の主人公・五代友厚は渋沢栄一と並ぶ日本実業界の双璧だった:2ページ目
志士たちとの交流、宿敵イギリスから学んだ知識を倒幕に活かす
さて、才助は20歳となった安政2年(1855年)に薩摩藩へ出仕して以来、長崎海軍伝習所でオランダ士官から航海術を学んだり、幕府の艦船・千歳丸に水夫として乗り組んで上海に渡ったりなど、精力的に活動します。
そんな情熱が惹かれ合うのか、勝海舟(かつ かいしゅう)や坂本龍馬(さかもと りょうま)、高杉晋作(たかすぎ しんさく)と言った志士たちと交流。
日本を、世界に並ぶ近代国家に生まれ変わらせる……そんな志で通じ合った彼らは、たとえ遠く離れていても、それぞれの使命を忘れることなく困難を乗り越えていったのでした。
しかし文久3年(1863年)、薩摩藩士が不逞イギリス人を無礼討ちにした「生麦事件」によって薩英戦争が勃発。才助も参戦して大いに武勇を奮ったものの、イギリス海軍の捕虜となってしまいます。
遠く横浜まで護送された才助でしたが、戦友の寺島宗則(てらしま むねのり。松木洪庵)と共に脱走。どうにか薩摩へ生還できたものの、虜囚の恥をさらしたという悪評により、約2年間の雌伏を余儀なくされたのでした。
やがて赦された才助は慶応元年(1865年)、「敵を忌み嫌うばかりでなく、よいところは学ばねばいかん」という主君の命により、薩摩藩遣英使節団の一員としてイギリスはじめヨーロッパ各地を視察。先進的な商業知識を学ぶことで実業家としての才能に目覚めます。
帰国後は薩摩藩の経営・商事を総括する会計係となって財政改善はもとより、近代的な軍艦や兵器の調達に手腕を発揮。これが戊辰戦争(慶応4・1868年~明治2・1869年)において大きな威力を示すのでした。