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打倒!織田信長に西国を放浪。室町幕府最後の将軍「足利義昭」の執念【中編】

打倒!織田信長に西国を放浪。室町幕府最後の将軍「足利義昭」の執念【中編】

③十七条の意見書

1572年(73年説あり)。自身の意に沿わない外交活動を行っていた義昭に対して不満を募らせた信長は、「十七条の意見書」を送付する。これはいわば義昭に対するダメ出し的な内容で、政務や財務、生活に至るまで、義昭に対する信長の不満が書き連ねられている。

④決別

十七条の意見書の後、義昭は挙兵。1572年を過ぎると反信長勢力の動きは活発となる。中でも甲斐国の「武田信玄」は信長にとって脅威であった。1573年、信玄は信長と同盟関係にあった徳川家康を三方ヶ原の戦いで破る。この戦いには信長も援軍を出しており軍事的に痛手を追っている。一説には、義昭は信長軍の大敗を知ったことで信長との協力路線を明確に放棄する決断をしたといわれている。

信長と決別した義昭。【後編】では2人の対立からその後の人生をご紹介する。

 

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