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イケメン過ぎてストーカー被害!伊達家の戦国武将・片倉重長の難儀な男色エピソード

イケメン過ぎてストーカー被害!伊達家の戦国武将・片倉重長の難儀な男色エピソード

政宗からキスをされる

敵将からも認められる武を持ちながらも、イケメンだった重長は先も述べたように主君の伊達政宗と男色の関係がありました。また政宗が信頼を置いている景綱の子でもあるので、気にかけ方は尋常ではありませんでした。

それを具体的に示したのは、先ほど紹介した大坂の陣でのこと。

重長が先鋒として戦いたい旨を政宗に伝えたところ、政宗は重長の頬にキスをした後、涙を流しながら了承します。このキスに重長も涙を流しながら喜びました。

この時重長は31歳で政宗は47歳。いくつになっても2人の関係が色褪せていないことがわかります。

重長をストーカーしたのはあの人物!

また重長のイケメンぶりは、政宗だけではなく小早川秀秋も虜にしてしまい、ストーカーまがいの行為をされたこともありました。

ことの発端は慶長6年(1601)、17歳だった重長が政宗に同行して京都に上り、豊臣秀頼と小早川秀秋に拝謁した時に起こりました。

秀秋は重長のことを見るや否や一目惚れしてしまい、どうしても関係を持ちたいがために重長をつけまわすようになります。

これに困った重長は東福寺に逃げ込みますが、事情を知っていた政宗からはこんな手紙が届きました。

嫌な理由は色々あるとは思うけど、一度くらいの関係なのだから我慢してくれないか。

主名に従わないのなら、親の首を斬らないといけないからよく考えるように。

この脅しに近い手紙を貰った重長のその後は記録が残っていないので、ご想像にお任せしたいと思います。

おそらく主命だからということで政宗の期待に応えたのではないかと思われます。

最後に

片倉と聞くと景綱を一番に浮かぶくらい印象的でしたが、重長の癖の強いエピソードによって景綱よりも印象深い存在になりました。

まさか他家の武将から関係を求められるとはだれも予想していなかっただろうと思います。

戦国時代では重長のようなスペックを持っていたら、引く手あまたのモテ男になると同時に他家の武将から関係を求められる生きづらい時代だったことがわかりました。

参考:武光誠『日本男色物語 奈良時代の貴族から明治の文豪まで』

 

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