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城が欲しくば力で奪え!戦国時代、徳川家康と死闘を繰り広げた女城主・お田鶴の方【下】

城が欲しくば力で奪え!戦国時代、徳川家康と死闘を繰り広げた女城主・お田鶴の方【下】:3ページ目

壮絶な最期と、手向けられた椿の花

「……残った者は、これだけか……」

お田鶴の方の周りには、侍女17名が控えるばかり。

「若君はお逃がし申した」

「そうか、ならばよい……皆の者、これまで妾の我が侭にもかかわらず、よう従い、戦うてくれた。そなたらは女子ゆえ、降れば一命は助かろうぞ」

そう言って降るくらいなら、最初から戦いなどしない……既に覚悟を決めていた主従18名は、手に手に得物を取って最後の突撃を敢行。全員一丸となって玉砕しました。

「女城主を討ち取ったぞ……!」

お田鶴の方が討死したと聞いて、生き残っていた城兵たちは戦意を喪失。かくして曳馬城は陥落、やがて遠州は徳川の支配下に呑み込まれていきます。

後日、その話を聞いた家康の正室・築山殿(つきやまどの)は、お田鶴の方を悼んで侍女たちと共に葬られた塚の周りに、百本の椿を植えました。

椿は毎年綺麗な花を咲かせたため、いつしかお田鶴の方は「椿姫(つばきひめ)」と呼ばれるようになり、やがて観世音菩薩も祀られたことで「椿姫観音」として、今も浜松の人々に親しまれています。

【完】

※参考文献:
中山和子『三河後風土記正説大全』新人物往来社、1992年
楠戸義昭『井伊直虎と戦国の女城主たち』河出文庫、2016年
御手洗清『家康の愉快な伝説101話』遠州伝説研究協会、1983年

 

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