コレラのせいでニホンオオカミが絶滅?江戸時代に流行した疫病に学ぶ、今私たちにできること
現在、中国に端を発し、世界中で感染が拡大しているコロナウイルス。今私たちにできる事は、不要不急の外出を控え、SNS上でまことしやかに拡散されているデマに流されず、正しい情報を知って、1人1人が冷静に身を守る行動する事です。
先の見えない状況に、誰しもが不安を抱くのは当然の事ですが、そういう時こそパニックを起こさず現状を見つめる事が最も大切だと言われています。
さて、江戸時代にはコロナならぬ「コロリ」と呼ばれる疫病が大流行したのはご存知でしょうか。今回は、知る事で現代にも役に立つかもしれない江戸時代の「コロリ」の流行についてご紹介します。
コロナならぬコロリとは
「コロリ」とは、コレラ病の事であり、激しい嘔吐下痢を引き起こし、極度の脱水症状によって死に至るケースのある伝染病です。発症から「コロリ」と亡くなってしまうために「コロリ」と呼ばれるようになったという説もあります。
日本で初めてコレラが発生したのは、最初の世界的大流行が日本に及んだ1822年(文政5年)のこと。朝鮮半島または琉球からの感染ルートで、九州から流行が始まりました。その後数年間は収まったものの、1858年(安政5年)から3年にわたり再び大流行となりました。
コレラのせいでニホンオオカミ絶滅?
当時は医療機関も発達しておらず、医療の知識も乏しかったため、江戸だけで10~30万人の死者が出たという文献も残っています(諸説あり)。
また、「コロリ」の流行に伴い、オオカミを守護神とする秩父の三峯神社や武蔵御嶽神社などへの参拝が大流行しました。当時はオオカミが憑き物を落とす神の使者と信じられていたためです。
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