女性の罪は美しさだけじゃない?平安時代の天才歌人・紫式部と清少納言それぞれの悩み
世に「才色兼備(さいしょくけんび)」と言うように、美しくて才能もある女性は、いつの時代も持てはやされる……のかと思っていたら、日本の歴史を見る限り、案外そうでもなかったようです。
むしろ女性は仏教的観念から「業(ごう)が深い≒生まれつき罪を背負った存在」として卑しめられ、愚かであるべきとされていました。
女性は衆生(主に男性)を惑わし、その成仏を妨げる……つまり美しくて賢い女性は「男性のスケベ心を刺激して意のままに操り、社会を誤らせる」存在として、建前では忌避されていた一面があったようです。
紫式部の悩み
「女性は平仮名(ひらがな)が書ければ十分、余計な知識は持たない方がいい」
そんな世の価値観に悩まされた一人として、平安文学の最高峰とも言える傑作『源氏物語(げんじものがたり)』を執筆した紫式部(むらさきしきぶ)がいます。
彼女は幼少の頃から頭脳明晰だったそうですが、それが故にイジメにあったり、夫・藤原宣孝(ふじわらの のぶたか)から疎んじられたりしたため、自分の才能を隠して「おばかキャラ」を演じていた(※例えば、漢字の「一」さえ知らないフリをした)そうです。
それでも止処(とめど)ない知識欲と、あふれ出る創作意欲の結果として執筆した『源氏物語』が評判を呼び、ついには帝・一条天皇(いちじょうてんのう)をして
「この作者は日本紀をよく読んでいるのだろう。本当に才能がある」
【原文】この人は日本紀(にほんぎ)をこそ読みたるべけれ。まことに才(ざえ)あるべし。
※『紫式部日記』より。
と言わせしめたため、女房たちから「日本紀の御局(みつぼね)」というあだ名をつけられた上、日ごろの努力?もあっさりバレて「カマトトぶりっ子」認定され、より一層いじめられてしまうのでした。
ページ: 1 2