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明智光秀が台頭する前の謎の期間は医療知識を得ていた?光秀が伝えた薬「セイソ散」とは

明智光秀が台頭する前の謎の期間は医療知識を得ていた?光秀が伝えた薬「セイソ散」とは

近江田中城というのは田中氏の居城で、『信長公記』によると、1570年に織田信長が朝倉義景を攻め入る際に逗留したとされています。3年後、その城は信長が攻略し最終的に明智光秀の支配下になりました。

明智がセイソ散を伝えたのが1566年で四年前なので、籠城したという状況がいまいちわかりませんが、はっきりしているのはその「セイソ散」は、朝倉氏に伝わる秘薬として知られていたということ。朝倉氏といえば現在の福井県の大名で、一乗谷と呼ばれる拠点には高度な医療が発達していたといいます。

話を整理します。光秀が表舞台に立つ前の謎の期間は、越前にいて朝倉家と深い関りを持っていたため、セイソ散などの医療知識を得ていたのではないか、という可能性が出てきたのですね。

朝倉は将軍・足利義昭を支えた武将でもあり、光秀も一度は義昭に仕えたものの見限って信長に仕えました。

ちなみにその「セイソ散」は傷薬の一種。気になる成分は…
・芭蕉の巻葉
・黄檗
・スイカズラ
・山桃の実と皮
これらを黒焼きにして粉にし、油をつなぎとして練って完成。とのこと!!
効き目が本当にあるのか気になりますね!

とにかくこの時代、いろいろなことに精通していたからこそ重宝され、また、精通していないと生き残れなかったことが窺えます。
インテリと言われる光秀の別の側面もみた気がしました。

参考文献:「麒麟がくる~明智光秀とその時代」NHK出版

 

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