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オリンピックをはじめて「五輪」と呼んだ人。当初は「安っぽく感じる」という意見も…
いよいよ、東京2020オリンピック・パラリンピックが7月24日(金)に開催します(パラリンピックは8月25日[火]から)。
さて、日本ではオリンピックをそのシンボルマークから「五輪」と表記しますが、それはなぜだかご存知ですか?
東京オリンピックを前にその理由と背景を紹介します。
オリンピックが初めに「五輪」と表記されたのは、1936(昭和11)年のこと。考案者は当時運動部記者としてオリンピック報道に関わっていた読売新聞記者の川本信正という人物でした。
「オリンピック」を新聞の見出しに掲載する際、カナカナ6字だと長いため、どうにか略せないかと相談を受けた川本は、5つの輪がシンボルマークだったことから「五輪大会」という言葉を思いついたといいます。また、当時たまたま川本が読んでいた菊池寛の随筆に宮本武蔵の『五輪書』が登場しており、そこから思いついたともいわれています。
いずれにしても、1936年7月25日の読売新聞の見出しに初めて登場した「五輪」は、当初は「五厘に通じ、安っぽく感じる」という意見もありました。しかし、同年8月6日付の読売新聞には、「五輪の聖火に首都再建」という見出しが躍り、やがて朝日新聞が同年8月15日に、日経新聞が8月20日に、と他紙も使い始め、次第に定着していきました。
五輪という表記が発明されるまでは、「オリムピック」という六文字を、そこだけ小さい文字にしたり二行にしたりなど、新聞各社は腐心していたようです。「五輪はあくまでスポーツの祭典として政治から独立してあるべきものだ」という信条を持っていた川本は、1996年のアトランタオリンピックの開会式直前に亡くなりました。
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