「東洋のガラパゴス」小笠原諸島を大発見した戦国武将とその子孫のエピソード【後編】
前編のあらすじ
江戸時代、「かつて祖先・小笠原貞頼(おがさわら さだより)が家康公より『南の島を発見したら領地として与える』という約束を取りつけ、見事に発見した島(小笠原諸島)の領有権を相続したい」と南町奉行所に訴え出た宮内(くない)こと小笠原貞任(おがさわら さだとう)。
果たして、彼の訴えは認められるのでしょうか?
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「東洋のガラパゴス」小笠原諸島を大発見した戦国武将とその子孫のエピソード【前編】
日本の南海に浮かぶ小笠原諸島。日本で唯一(アジアでなく)オセアニア圏に属するだけあって、南国情緒にあふれる多彩な自然や、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれる独自の生態系を30余の島々につけられた小…
訴えに対して、大岡越前のお裁きは?
……さて、話は享保に戻って子孫の宮内。貞頼が無人島を発見したエピソードをまとめた『巽無人島記(たつみぶにんじまき)』の記述を元に、小笠原諸島への渡航と領有権の認可を願い出たのでした。
町奉行の大岡越前守忠相(おおおか えちぜんのかみただすけ)は詮議の結果、享保十三1728年、宮内に対して実地検分のため渡航許可を与えます。
欣喜雀躍した宮内は、さっそく甥の小笠原長晁(おがさわら ながあき)を先遣隊に出すものの、船が難破して帰らぬ人となってしまいました。
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