「東洋のガラパゴス」小笠原諸島を大発見した戦国武将とその子孫のエピソード【前編】:3ページ目
これまで何を命じても嫌な顔一つせず、二つ返事であった貞頼の発言に、さすがの家康もいささか気にかかります。
「ん……民部か。いかがした」
貞頼がこれまで十数年、数々の戦功にもかかわらず故郷の信濃に帰らず、所領が得られないこと、そして安定した収入源がないままでは、今後存分な奉公が叶わないことを訴え出ると、家康は言いました。
「……言われてみれば確かにそうじゃな。と言って、信濃の領地は他の者に与えてしまった……よし、南の海に島などあるやも知れんから、もし見つけたらその地を所領として取らせよう」
「ははあ、有難き仕合わせにございまする」
そんな曖昧すぎる約束でも、一縷の望みに賭けたい貞頼はさっそく南海探検に出航。果たして三つの無人島を発見し、家康のとりなしによってその領有を太閤・豊臣秀吉から安堵されたと言われています。
その後も貞頼は忠勤に励み、戦乱の終焉を見届けて寛永二1625年に天寿を全うしました。
※参考文献:
坂田諸遠編『小笠原諸島紀事』国立国会図書館デジタルコレクション、明治時代
田畑道夫『小笠原島ゆかりの人々』文献出版、1993年2月