「東洋のガラパゴス」小笠原諸島を大発見した戦国武将とその子孫のエピソード【前編】:2ページ目
小笠原貞頼のプロフィール
小笠原民部少輔又七郎貞頼(おがさわらみんぶしょうゆう またしちろうさだより)とは、武田信玄のライバルとして知られる信濃国(現:長野県)の戦国大名・小笠原長時(おがさわら ながとき)の曾孫で、長元(ながもと)の次男として生まれました(諸説あり)。
隣国の甲斐(現:山梨県)より武田信玄の侵攻に対して果敢に抵抗したものの、やがて国を逐(お)われて三河(現:愛知県東部)へ逃げ込み、徳川家康に仕えます。
それからは徳川の家臣として甲州征伐や小田原攻め、朝鮮出兵(文禄の役)など数々の戦陣で活躍しましたが、なかなか所領を得られずにいました。
身命を賭しての槍働きはボランティアや道楽ではなく、かかるコストも自腹なので、安定した収入源がない状態では、武具や兵糧、兵員の調達すらおぼつかぬ……貞頼は、二度目の朝鮮出兵を命じられた折に、意を決して申し出ます。
「畏れながら……」