歌舞伎や寄席、相撲でよく見る「江戸文字」実は呼称もデザインも全て違う。正しくはなんて言うの?:3ページ目
寄席の寄席文字は「橘流」
寄席で使われるのは「橘流」、通称寄席字と呼ばれます。元々は寄席を集客するためのビラに使われた文字、「ビラ字」が起源です。
寛政10年(1798)、岡本萬作という者が、神田豊島町藁店に「頓作軽口噺(とんさくかるくちばなし)」の看板を掲げ、議席(寄席場)を開きました。そして風呂屋や髪結床など人の集まるところにビラを貼り、宣伝したことが始まりといわれています。
時代は下がり天保年間(1830‒1844)、神田の紺屋(染め物屋)職人の栄次郎が筆の立つことから、勘亭流と提灯文字を元にビラ固有の書体の元を作ったとされています。
その書体は通称ビラ清(粟原孫次郎)、二代目ビラ清、初代ビラ辰、二代目ビラ辰と呼ばれた者たちに脈々と受け継がれていきますが、震災や戦災により伝統は一時途絶えてしまいます。
復興に尽力したのは東京の浜松町出身の落語家、橘右近。寄席文字の書かれたビラなど落語にまつわるものを収集し、師匠不在のなかで過去の文字を見よう見まねで習得していきました。そして昭和の名人といわれた落語家8代目桂文楽(1892年‒1971年)の提案により、落語家を廃業し専門の書家として「橘流」を名乗ることになりました。現在の寄席で見られる書体はこの橘流ということになります。
寄席字は、客が集まるよう縁起をかついで空白を埋めるように字が詰まり加減になっており、さらに客入りが尻上がりになるようにと願いをこめ、右肩上がりになっているのが特徴。落語の看板やめくり、番付、ビラや千社札にも使用されています。